名古屋競輪の歴史と特徴を徹底深堀! バンクの特徴と特別競輪の見所も解説!
名古屋競輪場の歴史
1948年(昭和23年)8月1日、日本における競輪の開催等を定める法律『自転車競技法』が施行されたことに伴って、全国各地で競輪場の誘致が始まりました。愛知県名古屋市でも『名古屋競輪場組合』が設立され、競輪場の建設が計画されたのです。
当初は同市にあった中日球場に組み立て式バンクを作る構想が挙がりましたが、名古屋市財政局の強い要望によって中村公園の北側に新しい場が造成されました。
1949年(昭和24年)、『名古屋競輪場』開設。
大都市・名古屋の中心部に位置し、名古屋駅に近いということもあってか、特別競輪は幾度となく行われています。『日本選手権競輪』が1950年(昭和25年)、2011年(平成23年)、2014年(平成26年)、2016年(平成28年)に開催。『オールスター競輪』が1958年(昭和33年)、1961年(昭和36年)、1963年(昭和38年)、1992年(平成4年)、2005年(平成17年)、2019年(令和元年)、2020年(令和2年)に開催。『全日本選抜競輪』が2000年(平成12年)に開催。『高松宮記念杯競輪』が2016年(平成28年)に開催。GⅡでは『共同通信社杯競輪』が1996年(平成8年)、2012年(平成24年)に開催されています。
また2022年(令和4年)9月16日(金)から19日(月・祝)にはGⅡ『共同通信社杯競輪』の開催が予定されています。
名古屋競輪のバンクについて解説
バンクは400mで、カントは34°1′47″とかなりキツい一方(400バンクで最もカントがキツいのは松阪の34°25′29″、緩いのは西武園の29°26′54″)、直線は58.8mと平均的なため(400バンクで一番長いのは武雄の64.4m、一番短いのは佐世保の40.2m)、カマシや捲り意欲が高く、機動型で瞬発力の高い選手が有利な走路と言えます。
打鐘後の最終コーナーや最終バック手前の2コーナーからの山おろしで一気にカマすといった、先行意欲がそこそこある若手の引っ張るラインならそのまんま出切るでしょうが、ゴール手前の最終コーナーから一気に捲る選手が先行の場合、直線が長くないので番手や三番手が確定板に乗ってこない可能性が高まります。直近のレースやデータからラインの先行選手の位置取りと仕掛けどころを確認することが肝要です。
なお、2005年(平成17年)に2コーナーの観客スタンドが取り壊されたことでバックに追い風が吹くときはさらにカマシが決まりやすくなります。一方で、2015年(平成27年)にバンク内の池をなくしたことで湿気の影響がなくなり、逃げのスピードも落ちにくくなっているので、ライン先行選手の力差と風のバランスが展開に影響してくるでしょう。
名古屋競輪の記念競輪は?
記念競輪(GⅢ)は名古屋城天守閣の左右に鎮座する金の鯱を冠した『金鯱賞争奪戦』です。過去には10月に開催されていましたが、最近は3月に行われています。
名古屋競輪 地元の有力選手について
2021年(令和3年)現在、地元の有力選手は笠松信幸選手(S1・愛知・84期)、吉田敏洋選手(S1・愛知・85期)、高橋和也選手(S1・愛知・91期)、近藤龍徳選手(S1・愛知・101期)など。この4名は5月4日(火・祝)から9日(日)まで開催されるGⅠ『第75回 日本選手権競輪』にも出場予定です。
名古屋競輪のマスコット
マスコットキャラクターは地元のプロ野球球団『中日ドラゴンズ』のマスコット『ドアラ』と同様、コアラをモチーフにした『くるくる』です。名古屋にある東山動物園が日本で最初にコアラを展示したことから(東京の多摩動物公園と鹿児島の平川動物公園も同時展示)、名古屋ではコアラが愛されています。
かつて名古屋競輪には世界選手権で銅メダルを獲得し、中野浩一氏と何度も名勝負を演じた、高橋健二氏という伝説の選手がいました。記録以上に記憶に残る、ファンに愛される選手が再び名古屋から出てくることを期待しましょう♪
- ウィンチケット編集部
- WINTICKET(ウィンチケット)のコンテンツ編集チーム。初心者でも0からわかる記事を150本以上執筆した他、グレードレースを中心とした「WINTICKETニュース」、ABEMA 競輪・オートレースチャンネルでの番組の見どころをまとめたレポート記事の執筆を担当。
記事をシェアしよう