函館競輪場の歴史と特徴を徹底深堀! バンクの特徴と特別競輪の見所も解説!
本州から陸路と海路で向かう人たちにとって北海道の玄関口となる函館に、現存する日本最古の競馬場『函館競馬場』ができたのは1896年(明治29年)のことでした。
それから54年後の1950年(昭和25年)、戦後復興を目的とした競輪場建設ブームの最中、旧柏野練兵場跡に開設されたのが『函館競輪場』です。
函館競輪のバンクの特徴について
バンクは400m。直線は51.3mと平均的で(400バンクで一番長いのは武雄の64.4m、一番短いのは佐世保の40.2m)、カントはやや緩めの30°36′51″(400バンクで最もカントがキツいのは松阪の34°25′29″、緩いのは西武園の29°26′54″)。
捲りは届きづらく、先手ラインが有利となるのですが、逃げより差しが決まりやすい傾向にあります。大きいのは風の影響で、海に近い1センター側からホームに向かい風が入り込むため、先行選手が脚を使ってしまうのです。2003年(平成15年)の大改修後は1センター側のみポリカーボネート板で防風対策をしていますが、強い海風は乗り越えて流れ込んでしまいます。風が強い日はイン側から追い込んできた別線の選手が割って出てきて高配当という場面も見られるので、ピンポイント天気予報で強い南風が吹きそうなときは注意してください(1センターが南側)。
函館競輪の歴史について
日本で最北の競輪場。雪が降り積もる冬の開催はできないため、レースがおこなわれるのは4月から11月までの8カ月間です。12月から2月までの間はバンクに氷を張って『函館市民スケート場』として利用されています。
1985年(昭和60年)から『サマータイム競輪』という名で全国初の薄暮競走がおこなわれ、人気を博しました。1998年(平成10年)には『スターライトレース』という名に改め、これまた全国で初めてのナイター競走に移行。2019年(令和元年)からはミッドナイト競輪も開催しており、競輪ファンにとっては「函館=夜の競輪」というイメージが強いでしょう。
6年ぶりにG2『サマーナイトフェスティバル』を開催
それもあってか2006年(平成18年)、2010年(平成22年)、2015年(平成27年)には夏の夜のG2『サマーナイトフェスティバル』が開催されています。他の特別競走としては1992年(平成4年)、1993年(平成5年)、2001年(平成13年)、2004年(平成16年)、2007年(平成19年)に『ふるさとダービー』(かつておこなわれていたG2競走)、2012年(平成24年)にはG1『高松宮記念杯競輪』が開催されました。今年、2021年(令和3年)7月16日(金)から18日(日)には6年ぶりにG2『サマーナイトフェスティバル』がおこなわれる予定です。
函館競輪の記念競輪は?
記念競輪(G3)は2006年(平成18年)まで『いさり火争奪戦』という名称でしたが、2008年(平成20年)に『黒船杯争奪戦』に改名。2010年(平成22年)から『五稜郭杯争奪戦』という名に変わり、今年は5月15日(土)から18日(火)の4日間で開催されました。
地元からは菊池圭尚選手(S1・北海道・89期)や大森慶一選手(S2・北海道・88期)が出場。同地区の北日本勢は守澤太志選手(SS・秋田・96期)と佐藤慎太郎選手(SS・福島・78期)のS級S班の2人に高橋晋也選手(S1・福島・115期)や小松崎大地選手(S1・福島・99期)といった強力な機動型選手も登場します。
その他の有力選手としては郡司浩平選手(SS・神奈川・99期)、松浦悠士選手(SS・広島・98期)、古性優作選手(S1・大阪・100期)、諸橋愛選手(S1・新潟・79期)、松本貴治選手(S1・愛媛・111期)、菊池岳仁選手(S2・長野・117期)などが函館の走路でもがき合います。
年の3分の2しかレースが観られない函館での競走。
クマをモチーフにしたマスコットキャラクターの『りんりん』と一緒に楽しみましょう!
- ウィンチケット編集部
- WINTICKET(ウィンチケット)のコンテンツ編集チーム。初心者でも0からわかる記事を150本以上執筆した他、グレードレースを中心とした「WINTICKETニュース」、ABEMA 競輪・オートレースチャンネルでの番組の見どころをまとめたレポート記事の執筆を担当。
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