競輪の歴史は70年以上もあり奥が深い!過去の競輪の軌跡や年表も紹介
2000年のシドニーオリンピックでは「ケイリン」が、2012年のロンドンオリンピックからは「女子ケイリン」が正式種目となり、今や世界的な知名度を得たスポーツでもあるケイリン。
公営競技のひとつでもある競輪は日本発祥ということもあり、多くの日本人にとって親しみのあるスポーツです。
戦後まもなく始まった競輪は、70年以上の歴史があります。しかし、意外と知られていないことも多くあります。本記事では、そんな競輪がこれまでに歩んできた歴史を紹介していきます。
競輪の歴史は70年以上もある!
競輪の始まりは、元満州国官吏の海老澤清と元陸軍大尉の倉茂貞助です。2人は現在の競輪の礎を作りましたが、最終的に設立した会社だけでは運営できないことがわかります。
そこで政治家にかけ合うことで、自転車競技法案が作られ、1948年6月に法案は可決、同年8月1日から施行されることになりました。
11月20日には国民体育大会の自転車競技会場として作られた小倉競輪場で、「第1回小倉競輪」が開催。以降、70年以上にわたる歴史の始まりとなりました。
以下で、その後の競輪界で起きた出来事や歴史について説明していきます。
当時の券種は2種類しかなかった
先に紹介したとおり、紆余曲折を経て開催にこぎつけたのが第1回小倉競輪。この小倉競輪は、日本はもとより世界ではじめて単独開催された競輪のレースでした。
ちなみに、このレースで発売された車券の券種は以下の2種類です。
- 単勝
- 複勝
小倉競輪はすべてが手探りで、大きな不安のなかで始まりました。
しかし、そうした不安は杞憂に終わり、予想を上回る大きな売り上げを残すことができました。これをきっかけに、競輪の人気は大きくなっていきます。
トラブルや規制によって競輪人口の低下
小倉競輪開催から2年後の1950年には50カ所、その3年後は63カ所に拡大しました。
人気の拡大によって競輪を楽しむファンが増えた反面、運営面に関する問題や選手のルール違反などの不祥事も多く見られるようになりました。
そのほかにも、1949年に大阪住之江競輪場、1950年に鳴尾・川崎の各競輪場で起こったファンによる暴動もそのひとつです。これらの事件はマスコミから大きく批判され、2カ月間の開催自粛のほか、競輪の廃止を閣議決定するなどの問題にも発展しました。
最終的には廃止までは至らなかったものの、施設の耐火性向上工事(コンクリート化)や選手の資格再検討などが、当時の通商産業省から出された開催継続の条件でした。
その後も当時の農林水産大臣が「競馬は土曜・日曜・祭日以外は開催しないこと」と発言し、競輪も歩調を合わせたことなどが重なり、豊中・京都・後楽園など多くの競輪場が閉鎖に追い込まれました。
また、投票券の機械化など近代化が遅れたことも拍車をかけ、競輪人気に陰りが見え、1975年は年間総売上・総入場人員で他公営競技に抜かれることとなったのです。
競輪の衰退を避けるためにKEIRINグランプリが始まった!
他公営競技に抜かれて以降、競輪は衰退していく一方でした。その理由のひとつでもあった選手の実力差を小さくすべく「競輪プログラム改革構想(KPK)」をスタートさせました。
結果としては実力が拮抗した選手によるレース展開が見られるようにはなったものの、売上回復には至りませんでした。
そこで「全日本選抜競輪」が1985年に新設されましたが、それでも満足な結果は得られず、同年末に誕生したのが選抜されたトップ選手9名による「KEIRINグランプリ」です。
第1回は立川で開催、その後も年末の風物詩として継続。2012年に誕生したガールズケイリンでも同様のグランプリ競技がおこなわれています。
日本で初めて1億円を手にするスポーツ選手が誕生!
競輪の歴史のほか、あまり一般に知られていないことのひとつが選手の獲得賞金です。日本には多くのプロスポーツがありますが、日本ではじめて年収1億円を越えた選手が誕生したのは競輪選手ということはあまり知られていません。
これは1980年のことで、世界自転車選手権10連覇でも知られる中野浩一選手が達成しました。
その年間獲得賞金は約1.1億円です。当時のプロ野球選手の平均年俸は602万円。一般サラリーマンの平均年収が294万円だったので、いかに破格だったかというのがわかりますね。
はじめて1,000万円を超えたのが1963年、その13年後(1976年)に5,000万円を超えたので、1,000万円超えからは17年後、5,000万円達成から4年後に1億を超えたことになります。
ちなみに、そのさらに上となる2億円を超えたのは21年後の2001年のことです。
年表を見て競輪の歴史を振り返ろう
ここまでは競輪界で起きた主な出来事を振り返っていきました。
このほかにも、さまざまな歴史があって「競輪」という競技が成り立っています。
ここからは、年表形式にして70年以上にわたる競輪の歴史を振り返っていきましょう。
1940年代
- 1946年-1947年 海老澤清と倉茂貞助が国際スポーツ株式会社を設立
- 1948年6月 自転車競技法案可決、同年8月施行開始
- 1948年11月20日 小倉競輪場ではじめての競輪を開催
- 1949年1月15日 大宮競輪場で東日本初の競輪を開催
- 1949年6月 日本選手権競輪開催
1950年代
- 1950年4月 高松宮杯競輪を開催
- 1950年8月 全国都道府県選抜競輪開催
- 1951年11月 競輪祭競輪王開催
- 956年5月 オールスター競輪開催
1960年代
- 1962年1月 競輪祭新人王を開催
- 1965年12月 初の1000勝達成(松本勝明選手)
- 1966年2月 秩父宮妃賜杯競輪を開催
1970年代
1980年代
- 1983年4月 KPK制度導入、選手のランクがS級・A級・B級の3階制になる
- 1985年8月 全日本選抜競輪開催
- 1985年12月 KEIRINグランプリを立川競輪場で開催
- 1986年9月 世界自転車選手権で スプリント10連覇達成(中野浩一選手)
- 1988年6月 史上初のグランドスラム達成(井上茂徳選手)
- 1988年10月 共同通信社杯競輪開催
- 1989年1月 国際ケイリングランプリ開催
- 1989年12月 ふるさとダービー競輪開催
1990年代
- 1990年5月 世界自転車選手権日本大会特別記念レース開催
- 1992年5月 世界選手権記念トーナメント(現在は寛仁親王牌)開催
- 1995年 阪神淡路大震災発生、後に震災復興競輪を開催
- 1996年 アトランタ五輪自転車競技 1kmTTで銅メダル(十文字貴信選手)
- 1998年 初のナイター競輪開催(函館競輪場)
2000年代
- 2000年 シドニーオリンピックにて「ケイリン」が正式種目に採用
- 2001年12月 ヤンググランプリ競輪開催
- 2002年2月 東王座戦・西王座戦競輪開催
- 2003年5月 ワールドグランプリ競輪開催
- 2004年 アテネオリンピック チームスプリントで銀メダル(長塚智広・伏見俊昭・井上昌己各選手)
- 2005年8月 サマーナイトフェスティバル競輪開催
- 2008年1月 F1、F2レースが12レース制に改正。新しいランクとしてS級S班を設置。
- 2008年8月 北京オリンピック ケイリンで銅メダル(永井清史選手)
- 2008年12月 SSカップみのり競輪開催
- 2009年5月 SSシリーズ風光る競輪開催
2010年代
- 2011年 初のミッドナイト競輪開催(小倉競輪場)
- 2012年7月 ガールズケイリンが開始
- 2012年8月 ロンドンオリンピックより「女子ケイリン」が正式種目に採用
- 2012年11月 モーニング競輪開催
- 2014年1月 KEIRIN EVOLUTION開催
- 2017年3月 ウィナーズカップ開催
競輪の歴史を振り返って競輪の奥深さを知ろう!
競輪の予想が好きという人は多いですが、その誕生の歴史や過去の歴史を知っている人はそう多くはいないかもしれません。
これまでもさまざまな施策や新しい大会・制度を導入したことで発展を遂げた競輪ですが、これからも新しい試みがどんどん出てくることでしょう。
そして、現在では競輪もスマートフォンやパソコンから予想や観戦ができるスポーツへと進化しています。
インターネットで競輪を楽しむ際には、インターネット投票サイトの「WINTICKET(ウィンチケット)」をぜひご利用ください。
参考.1 : WINTICKET 競輪勉強シリーズ
参考.2 : WINTICKET 初心者向けコンテンツシリーズ
- ウィンチケット編集部
- WINTICKET(ウィンチケット)のコンテンツ編集チーム。初心者でも0からわかる記事を150本以上執筆した他、グレードレースを中心とした「WINTICKETニュース」、ABEMA 競輪・オートレースチャンネルでの番組の見どころをまとめたレポート記事の執筆を担当。
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