清水裕友/ SS 105期 山口
HERO STORY
憧れの選手に送った手紙
月に1回は熱を出してしまうほど、身体の弱かった“ひろと”少年。鍛えるために幼稚園の年長から柔道を始めた。小学校に入ると中日ドラゴンズファンになったが、柔道が忙しくて野球をする時間はなかった。柔道漬けの毎日だったが、小学4年生のときに運命が変わる。たまたま柔道クラブが休みの日、友だちの誘いを受けて山口県が主催する自転車教室へ行った。10年後にある国体選手発掘が目的だったスクールで、自転車競技の楽しさを知ってしまったのである。これがなければ競輪選手になっていなかったと、後に語っている。小学5年生のとき、山口県ジュニアサイクルスポーツクラブへ入所。そこで初めて競輪を知り、カッコイイと思ったのが佐藤慎太郎選手だった。“ひろと”少年にとって憧れの「HERO」が出現したことで、競輪選手を目指し始める。「グランプリで慎太郎選手の前を走ります!」と書いた手紙も送った。
デビュー4年半でGP初出場
しばらくは柔道も続けていたが、中学2年生時に競輪選手になる決意を固め、誠英高等学校進学後は自転車競技一本に絞る。2010年、インターハイ「美ら海沖縄総体」のケイリンで優勝。アジアジュニア自転車競技大会のケイリンで2位に入り、高校卒業後は鳴り物入りで日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)に入校。「毎日同じことをするのが苦痛」だったが、耐え抜いて在校4位で卒業した。選手になったときの夢は「G1を獲って、賞金王になる」こと。2014年7月14日、武雄競輪場でデビューして完全優勝。2年後の2016年1月にS級へ上がったが、成績が振るわず。翌2017年前期にはA級陥落という挫折を味わう。このまま終わっていく危機感を感じ、それまではなんとなく練習して、なんとなく走っていたところを、一本一本レースを想定しながら練習したり、乗り方をいろいろと変えてみたり。「自転車のことを考える」練習に取り組むようになって、みるみると力を付けていった。競輪の楽しさも覚えた。するとすぐさま特進してS級へ復帰。同年9月には地元でS級初優勝を果たす。2018年には全日本選抜でG1初参戦。9月の共同通信社杯では僅差の準優勝。10月の寛仁親王牌でG1初優出。そして年頭に掲げていた、地元「防府記念を獲る!」という目標を叶え、11月に記念初優勝を果たしたのである。人生で最も嬉しかった瞬間だった。さらに競輪祭でも優出して3着に入り、デビューからわずか4年半でグランプリ出場を決めた。
地元4連覇の勢いのままに
2019年、2年連続でグランプリ出場。しかしタイトルホルダーとしてではなく、獲得賞金ランキングでの出場であった。G1を獲る夢を叶えたのは2020年になってからだった。2月の全日本選抜(G1)で松浦悠士を利してG1初優勝を果たした。中国ゴールデンコンビがここに完成し、その後の競輪界を席巻していくことになる。同年、サマーナイトフェスティバル(G2)でも松浦の番手から優勝。3年連続でグランプリに出場した。すっかり馴染んだ赤パンツで挑んだ今シーズン。3月のウィナーズカップで優勝したが、G1タイトルには手が届かず。獲得賞金ランキングでのグランプリ出場となったが、11月に地元の防府記念で前人未踏の4連覇を果たし、競輪史に名を残せたシーズンは満足のいくものだっただろう。残すは年末の大勝負のみ。松浦がいるので単騎にはならず、憧れだった佐藤慎太郎の前を走ることはないだろうが、佐藤の前を駆け抜けてゴールを切ることはできる。「賞金王になる」という、もうひとつの夢を叶えて、今度は清水裕友選手が少年たちの憧れる「HERO」になる。