第72回 高松宮記念杯競輪

宿口陽一/ SS 91期 埼玉

HERO STORY

同県のエースの存在

「平原さん、やりました!」今年の6月20日、岸和田競輪場で行われた第72回高松宮記念杯競輪にて、キャリア初のG1決勝進出を果たし、見事初優勝を成し遂げた「HERO」が発したのは、同県のエースで大先輩へ向けた言葉だった。1984年4月3日生まれ。埼玉県ふじみ野市出身の陽一は中学で陸上をやっていたが、埼玉県立川越工業高等学校へ入学すると兄の潤平が所属していた自転車競技部へ。そこで兄と同学年の先輩だったのが、平原康多である。高校総体2位、国体6位という十分な成績を掲げて兄と共に競輪学校へ入学。先に選手となっていた平原を追うように2006年小田原競輪場でデビューし、初優勝するまでには1年弱かかってしまったものの、S級優勝まではわずか2年という早さだった。

苦労人、宿口陽一

そのまま大先輩のようにビッグ決勝常連選手になっていくかと思われたが、足踏みをしてしまう。特別競輪初出場はデビューから5年後の2011年、共同通信社杯秋本番(G2)の3日目補充であった。正選手としての初出場は2018年のウィナーズカップ(G2)と、デビューから12年後のこと。以降はグレードレースの常連にはなるが、決勝進出は一度もなかった。今年1月に通算300勝を達成するも、記念優勝のない、苦労人。それでも突き放すことはなく、共に練習をしてきた平原はわかっていたのかもしれない。いつか輝くときが来ることを…。ゆっくりではあるが確実に成績は上がってきていた。今年2月の奈良記念で決勝進出。全日本選抜競輪(G1)でも3日目に1着を獲った。3月の宇都宮(G3)も決勝へ。5月の日本選手権競輪(G1)でも1着、3着、4着、2着と好成績を並べた。

掴みとった夢の舞台

「予感は全然なかった」と本人は話すが、周りは感じていたはずだ。特に20年以上の付き合いで一番近くにいた平原はそれをわかっていたからこそ、左肘骨折で欠場しながらも自宅のテレビにかじりつき、高松宮記念杯競輪(G1)優勝を目の当たりにして「自分のことより嬉しい」と涙をこぼしたのであろう。「今はまだGPを走れるような選手じゃない」と本人は謙遜するが、その後の活躍を見れば、どれほどの努力をしているかファンはわかっている。年末の静岡で大先輩と連携して「HERO」になることを、ファンは皆、祈っている。